仏教徒ではない義母のお葬式

長い間、真摯に穏やかに、キリスト教系の宗教とともに人生を歩んでいた義母が亡くなりました。義母の生前の意思で、亡くなった後の葬儀の形式にはこだわらない、と言う事で仏教形式でのお葬式をあげました。

義母は元々バラの花が好きだったので、本来はバラの花に囲まれて、同じ志の方々に囲まれてお見送りをして欲しかっただろうな、と嫁の立場でうっすら思っていました。

しかし、義父は仏教徒。家も代々仏教徒の家で異なる宗教での葬儀となると、高齢の義父にはかってもわからず、妻を亡くしたショックの中、かなりの負担となります。それをわかっていて、癌闘病中だった義母も形式にはこだわらないという話が生前にできていました。

人の目もあるので、お葬式の間は私も手にお数珠をし、お焼香をし、お寺のご住職にお経をあげて頂き義母を見送らせて頂きました。

しかし、四十九日の間は家族・親戚しかいないので、端っこに座って参加していた私は、お数珠を着けずに、密かに義母の意思を尊重させてもらうつもりで四十九日の行事に参加していました。
毎週、お寺からご住職に来て頂き、お経をあげて頂き、終わればご住職はお茶を一杯飲んでいかれます。このご住職は義父・義母ともに知り合いの方でした。
香典返しは義理母が好きだったイオンの四十九日法要後の香典返しでした。

このご住職は元々余りお話をされない方だったらしいのですが、とてもよくお話をされた日がありました。その話が、固い仏教の話ではなく、とてもぶっちゃけたお話で「死者に、初七日にこれをしないと成仏しないだとか、これをしないと草葉の陰から…だとかそんな事はないんです。死者はもう亡くなったらさっさとあの世に行くんです。法事とかは残された者の為にあるんです。

やったから成仏する、やらなかったから成仏しないとかは無い。だから宗教のこれをしないととかも関係ない。」とおっしゃったんです。その場にいた年配者はなんてこと言うんだ、という空気の方もいましたが、私はホッとしました。

意に沿うとは言えないお寺に納骨されて少しかわいそうだな、と思っていたのですが、その中でもこの自由なご住職のいるお寺にご縁があって、ほんとに良かったなとなんだかホっとしました。

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